以前、「子供の発達が遅れているのはわたしのせい?」という話を聞いたことがあります。
話しは次の通りです。
- 子供がダウン症をもって生まれ、その事実が受け入れられない。
- そのため、子供と向き合うことができない。
- 向き合うことができないため、何も手につかない。
- 子供にとって一番大切な時期に療育をやってあげられなかった。
- 他の親は熱心に教育をやっている。
- そのせいか、発達が他の子と比べて遅れているように見える。
- 子供の発達が遅れているのはわたしのせいかもしれない。
私は妻とよく話をしますが療育をしたからっといって必ずしも効果があるとは限らないだろうということです。
私たちの早希ちゃんは、今も言葉はしゃべりません。
他のダウン症児は言葉をしゃべり、学校には一人で登校しています。
あまり積極的ではありませんが少しは療育はしていました。
しかし、著しく成長するわけではなさそうです。
周りの子で療育を全くしていないダウン症児でもかなり発達がよいケースを見ています。
そういうところを見ると発達の良さは、ある程度、生まれつきのものがあるのかもしれません。
このブログでもよく言っていますが、無理をして健常児に近づけることが良いことであるとは限りません。
子供が楽しく過ごせることの方が大切です。
無理に療育をやっても、子供自身が楽しくないのであれば何かが間違っています。
うちの早希ちゃんは、言葉はしゃべれませんが、自分の意思を伝える工夫をしています。
次のブログでも紹介したiPadを使う方法です。
私たちは、健常児にいかに近いかという尺度で早希ちゃんを見ていません。
楽しく過ごせているかという点で見ているのです。