全米ダウン症協会(NDSS)において、40周年記念キャンペーン動画「No Limitations(制限がない)」が制作されました。
この動画には、ダウン症を持つ人の制限について語る医師が登場します。
その医師は、1つ1つ制限について語ります。
医師は、ダウン症者は単純な作業しか行えない、誰かと生活を共にすることが難しい、スポーツで成果を出すことは難しい、寿命は50歳であり、制限ばかりの人生と語ります。
その医師が言う一つ一つの制限についてダウン症を持った人たちが「NO」を突きつけ、自分が制限なく出来ていることを語ります。
大学を卒業した人、
結婚生活している人、
事業を行っている人、
スポーツ選手、
エミー賞を取った人、
61歳の誕生日を迎えた人、
ダウン症を持った人に制限があると思うこと、それは偏見であるということです。
「私たちに制限などない!」
これがダウン症を持った人たちの主張です。
制限があると考えてしまうと、その制限は、制約に変ってしまう危険があると私は思います。
車に例えてみます。
本当は、時速50km以上出せるにも関わらず、その車は50kmしか出せないのだろうと考えてししまう。
そうするとその車は、いつのまにか時速50km以上出してはいけないという制約に変ってしまうということです。
恐らくアメリカでは、このようなことが起きていたのでしょう。
日本でもあります。
小学校の普通学級では勉強は難しいだろう。
だからダウン症児は、全て支援学級、特別支援学校に行くべきだという主張はまさに制約にされているのです。
スポーツにしてもそうです。
ダウン症児は、筋力が弱いからスポーツは危険である。
スポーツはさせるべきではないという主張も制約です。
実際に出来ているダウン症を持った人たちはたくさんいます。
制限があると考えるべきではありません。