「ダウン症は知的障害なのか?」この問いは、私たち家族が早希とともに暮らしていく中で、何度も頭をよぎるものです。
ある日、ダウン症専門医と話したとき、意外な言葉が返ってきました。
「ダウン症は、“知的障害”ではありません」と。その言葉に私は少なからず衝撃を受けました。
早希は、言葉を話すことができません。
音としての発声はありますが、私たちが日常使っている「言葉」としてのコミュニケーションはできない状態です。
しかし、だからといってコミュニケーションが不可能かといえば、全くそんなことはありません。
彼女はiPadに入れてあるアプリ「えこみゅ」を使って、必要なものや気持ちを伝えてくれます。
絵カードを選んで、「これが欲しい」と、自分の意思をしっかりと示します。
私たち家族も、早希の「言葉」にならない声や表情、行動、そしてこのアプリを通して、彼女の世界とつながることができていると感じています。
では、「言葉で話せない」=「知的障害」なのでしょうか? 早希の行動を見ていると、むしろとても物事を理解していると感じます。
絵カードの選択や、家族の表情からの読み取りなど、彼女なりの知的な働きかけが随所に見られます。
専門医の言葉の意味が、ようやく少しわかってきた気がします。
つまり、私たちが「知的障害」と一括りにしてしまっている中には、「言語の発達の遅れ」や「コミュニケーション手段の違い」といった、別の側面が混ざっているのかもしれません。
ダウン症のある人の「知的な力」は一様ではなく、私たちの“見方”によって大きく変わってしまうものです。
早希は「話さない」のではなく、「別の方法で話している」のです。
そう考えると、ダウン症=知的障害という単純なラベルでは、早希のような子の力や個性は到底語りきれないと、私は思います。