娘が生まれた翌日、産婦人科の医師からダウン症の可能性があると伝えられました。
妻に伝える前に私に教えてくれました。
当時、3歳の長男は、O157に感染し、溶血性尿毒症症候群という合併症になり、急性腎不全で入院していました。
長男(3歳)のO157感染・溶血性尿毒症症候群発症から奇跡の生還およびダウン症の娘誕生までの56日間
妻は、最初、別な病院で出産する予定でしたが、急遽、長男が入院している同じ病院に転院していました。
ダウン症の可能性について産婦人科の医師から伝えられたのは、長男がいる個室です。
そのときの状況として、長男は急性期を越えたとはいえ、意識不明で家族全員、不安な日々を送っていた時期です。
そんな中で妻は、娘を出産しました。
生まれた時に立ち会いましたが、早産で生まれてすぐに産声を上げていました。
とても元気が良い子だと思いました。
長男にまだ不安がある時期でしたが、唯一の希望でした。
(早希の名前は、希望の一文字を取っています。意味としては「早く希望が持てますように」です)
そんな中で医師からダウン症の可能性について伝えられました。
顔の表情、猿線、耳の形、舌の長さなどダウン症の特徴が出ているということでした。
遺伝子検査は受けることにしましたが、ダウン症であることは明白だったと思います。
私自身、ダウン症についてよく知りませんでした。
直ぐに携帯でダウン症について調べました。
それほど詳しくは分かりませんでしたが、成長はゆっくりで知的障がいを持つ可能性があると書かれていたと思います。
普通の状況であれば、かなりショックを受けていたでしょう。
でも長男が生きるか死ぬかという時期だったこともあり、感覚的にマヒしていたと思います。
そのため、ダウン症であることを知っても、命に問題がないのであれば良かったと思ったのが正直なところです。
私たちの両親にも伝えましたが、「残念だ」と言っていました。
妻は、泣いていました。
長男がO157で死ぬかもしれないと医師から伝えられたときにも泣いていました。
2か月の間に妻が泣くのを2回見ました。
私は長男のときも泣くことはありませんでした。
「必ず助かる」と思っていたからです。
どちらかというと私は楽観的な方です。
娘の早希ちゃんも、何とかなると思っていました。
妻は不安症で最近までいろいろと悩むことがありましたが、私はその都度、「何とかなる」と言っていたような気がします。
最近、妻は不安になることは少なくなっていたと思います。
何とかなっているのでしょう。