息子の渓がO157感染したのは、2007年の7月の時でした。
3歳になったばかりの時でした。
2007年の夏は、近くの大学の学食でも集団でO157感染が発生していました。
ほとんどの場合、O157に感染してもついては当時、あまり知識がありませんでした。
激しい腹痛と下痢があり、入院することがあっても1週間ほどで退院できる程度の知識しかありませんでした。
しかし、渓の場合は、O157感染から急性腎不全になってしまいます。
合併症名は、溶血性尿毒症症候群という聞きなれない病名です。
医師から言われたことは、7週間くらいで死に至る可能性があるということでした。
家族全員がどん底に突き落とされた絶望的な状況でした。
渓は、腎不全のため、毎日、人工透析を行いました。
それはもう大変でした。
薬で眠らせているため、意識はありません。
このようなことが1か月続きました。
最も恐れていたのは、腸が破裂し、毒素が体中に回ることでした。
毎日、神にも祈る気持ちで家族は過していました。
しかし、徐々に回復に向かい、ICU(救急治療室)から一般病棟に移れることになりました。
ここからがまた大変でした。
意識が戻りません。
目は開いていても、ずっと壁を見つめたままです。
完全に魂が抜けた状態です。
話しかけても返事は当然ありません。
そういう状況の中で、娘の早希は生まれました。
妻は本当に大変だったと思います。
早希が生まれた次の日、医師から「ダウン症の疑いがある」と告げられます。
既にどん底にいる私たちが、更に暗くなってしまいます。
そうしているうち、渓は、意識が徐々に回復していきます。
回復しても腎臓に後遺症が残り、腎臓移植もあり得ましたが、渓の場合、本当に奇跡的に後遺症もなく回復しました。
詳しいことは、下記のブログを参照してください。
長男(3歳)のO157感染・溶血性尿毒症症候群発症から奇跡の生還およびダウン症の娘誕生までの56日間
早希も、最初、心臓に穴が空いていると言われましたが、経過観察となり、その後、穴は閉じたようです。
ダウン症児の場合、心臓などに合併症があることが多いと思いますが、ダウン症であること以外は、何も問題ありませんでした。
こちらもある意味、奇跡です。
そもそも、生まれたこと自体が奇跡だと思いました。
染色体異常がある場合、ほとんどは生まれてこれないと言います。
早希は、染色体に異常があるにも関わらず生まれてきたのです。
渓も早希も奇跡の子だと思います。