(妻が書きました)
だいぶ前、まだ早希が幼稚園ぐらいの頃だったと思います。同じ年のダウン症の女の子を持つお母さんが、「これから自分は、この子が20歳になるまで、自分を犠牲にして、この子を育てる。それから後のことはわからないが、とくかく成人するまでは責任を持って育てる」ということを言っていたのがずっと頭の中に残っています。
私はその時、「そこまで子供のために一生懸命自分を捧げられるなんて、すごい」と思いましたが、同時に「親がそんな気持ちで育てた子供が、もし期待通りに育たなかった場合、どう思うんだろう?自分の人生を犠牲にしてまで育てたのに・・・私の人生を返して!」と思わないだろうか・・・と思いました。
また、子供から見てもお母さんが「あなたのためにお母さんは自分の人生を犠牲にしているのよ」という気持ちは、負担にならないだろうか・・・とも思いました。
これは、障害があるかどうかに関係のないことだと思います。
親が言葉にしなかったにしても、心の中で思っていることってけっこう子供に伝わるものだと思うんです。
子供にとって一番嬉しいことは、生き生きと楽しそうな親を見ること。
いつも辛そうで暗い顔をしている親を見ることほど辛いことはないと思うんです。
早希が生まれてから、ダウン症に関する情報をちょっとでも知りたいと、毎日パソコンに向かっていました。
ダウン症には早期療育が有効で、家でも一生懸命療育をしている様子を記したブログもたくさん見ました。
私も言語指導や作業療法などに早希を連れて行き、家でできる療育もしてみました。
でも、やはりなかなかうまくいかず、順調に育っている子のブログを見ては落ち込んだりしていました。
みんな早く歩けたり、トイレで排泄ができるようになったり、字が書けたり、本が読めたりできるのに、どうして早希は・・・と。
親のイライラは子供に伝わります。
私もイライラし、早希の前でも暗い顔をしている時があったと思います。
でも、早希の顔は、いつもニコニコ。
私や夫、お兄ちゃんがちょっと大きい声を出すとケンカしていると思うのか、「ケンカしないで。笑って!」というようにニコニコして近づいてきます。
そして、気づくとこちらも早希の笑顔につられてニコニコしてしまいます。
それを見ているうちに、他の子と比べることはやめよう、とだんだん思うようになりました。
他の子と比べても何の意味もない、比べるなら昨日の早希、1ヶ月前の早希、1年前の早希と比べたほうがいい。
健常の子供のように、昨日できなかったことが突然できるようになったりはしないけれど、少しずつ、着実にできることが増えていっています。
それでいいじゃないかと思えるようになりました。
そして、何より大切なのは早希が毎日を楽しみ、健康に暮らすこと。
それができていればあとはOKだと思うんです。
これは、早希だけではなく、お兄ちゃんにも言えることです。
そして、私たち親も毎日を楽しむこと。
自分の夢を追いかけること。
仕事をあきらめないこと。
そういう生き方を私はしたいと思っています。