相模原事件とは、2016年7月に知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」において、元施設の職員が入所者19人を刺殺した事件です。
先日、相模原事件を扱ったNHKスペシャルが放映されました。
NHKサイト “ともに、生きる” ~障害者殺傷事件 2年の記録~
相模原事件の被告は、「意思疎通ができない障がい者は心失者であるため人ではない」、「人ではないため殺人ではない」と言っているそうです。
この被告の考え方は極端ですが、被告の考え方の背景にある優生思想に同調する人たちが意外に多いことがこの事件を通してわかりました。
優生思想とは、
優れた能力を持っている父親・母親同士の結婚・出産して優れた能力の子孫を残す、
これを繰り返すことで人類の進歩を促す
ことです。
この優生思想の実現のためにナチスドイツは、T4作戦という障がい者などを安楽死させるという施策が行われていました。
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日本でも、旧優生保護法により、障がい者に対する不妊手術が1948年から1996年にかけて行われており最近、問題視されています。
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さて相模原事件の被告は、「意思疎通ができない障がい者は心失者であるため人ではない」と言っていることについてです。
本当に心失者なのでしょうか。
意思疎通が出来なかったとしても、心はあるのではないでしょうか?
相模原事件の被告は、元職員です。
普段から入所者と接していながらそのような考え方になることがよく理解できません。
完全に意思疎通が出来なかったとしても、心がないとは言えないのではないでしょうか?
昔、観た「ジョニーは戦場に行った」という古い映画を思い出しました。
戦争で目、鼻、口、耳、両腕、両脚を失い意思疎通が出来なくなってしまった男の話です。
この映画を観たことがある人は、私が言いたいことが分かると思います。
私は障がいがあるかないかに関係なく心はあると思います。
もし、自分が交通事故などで障がいを持ち、意思疎通ができなくなっても「人ではない」と言えるのでしょうか。
そして障がい者にも家族がいます。
亡くなった家族の悲しみは理解できないのでしょうか。
私が思うには、相模原事件の被告には、想像力が欠如しているのではないかということです。
意思疎通ができなくても心はあるということ、亡くなった障がい者の家族が悲しんでいるということの想像が出来ないのではないかと思います。
相模原事件の被告は、自分の考えを理路整然と述べているようです。
その言葉だけ聞いていると、中には引きこまれる人もいるかもしれません。
NHKスペシャルでも、そのようになりそうになった人を紹介していました。
とても危険です。