ダウン症は、ジョン・ラングドン・ダウン医師(1828年11月18日-1896年10月7日)の名前から取られています。
そのため、ダウン医師はある意味、とても有名な人ではありますが、実は、それ以外についてはほとんど知られていません。
彼は、当時のロンドン医学界で最も著名な医師であったにも関わらず、彼の伝記は次の書籍のみです。
ジョンは、1828年に6人兄弟の末っ子として誕生しました。
ダウン一家は、貧困層だったようです。
貧困層といっても家業では、4人の使用人がいました。
ジョンは、家業の食料雑貨店の店番をするために14歳で学校を辞めています。
1846年、ジョン(18歳)に彼の生き方を運命づける出来事がおきます。
郊外にピクニックに行ったときのことです。
ジョンは、湾岸の小屋で知的障がいを持った少女と出会います。
彼は、次のように思ったそうです。
「はたして彼女のためになすべきことは皆無なのだろうか」
彼は、その時はまだ医学生ではありませんでしたが、時折、少女の記憶を思い出していたそうです。
そしてジョンは、彼女のような人たちのために何かをしたとと熱望するようになったそうです。
そして彼は薬剤師の資格を取ります。
その後、医学校に進みます。
その後もジョンは、知的障がい者に関心を持ち続けていたようです。
貧しい重度知的障がい者を取り巻く環境についても言及しています。
彼の根底にある思想は、宗教的なものもあったようです。
どのような生命体であろうとそれは、万物の創造主(神)による完成されたものであるというでしょうか。
ダウン博士の伝記「ジョン・ラングドン・ダウンの生涯」は、最後までは読んでいませんが、彼がいかに人間的に素晴らしいかが語られています。
ダウン症療育のパイオニアという副題が伝記に付いていますが、まさにその通りだと思います。
「障がいを持った人のために何ができるか」
それがジョンの原動力だったのでしょう。
1896年11月にラングドン・ダウンが死去した際は、彼に因んだ名前のストリート名が付いたそうです。
今でもあるかどうかわかりませんが次の2つです。
- テディントンのダウン街
- ラングドンのダウン通り
ジョン・ラングドン・ダウンは1896年10月7日に死去し、10月10日の結婚記念日に荼毘に付されています。