ダウン症のある自分の子供を愛せない、そういう人がいるようです。
ネット上では、たまにそういう意見を述べている記事を見かけます。
我が子を愛せないなんてとんでもないと多くの人は思うでしょう。
しかし、世の中、そう思う方がいるのも事実です。
でも可愛いと思う時もあるはずです。
愛せるときと愛せない時の間を揺れ動いているのだと思います。
目次
1.なぜ愛せないと思うのでしょうか?
本来は、自分たちの子供は可愛いものです。
にもかかわらず、なぜ、わが子を愛せないと思うのでしょうか?
全ての人に当てはまるかどうかわかりませんが、1つの理由に自分の中に偏見があるからではないでしょうか?
わが子に対する愛情と偏見の間を揺れ動いているのではないでしょうか。
偏見は多かれ少なかれ全ての人にあります。
まったく偏見がない人はいません。
2.どうすればよいのでしょうか?
わが子をよく見ることだと思います。
ダウン症であってもなくても、子供は無邪気で純心です。
そして可愛いものです。
しかし、どうしても偏見が心の中にあったとしても、時間とともに偏見よりもその子の可愛さの方が勝るときが来ます。
「生まれてきててありがとう」と思えるようになります。
そして次第に偏見はなくなっていきます。
そう思えるようになる時間は人それぞれです。
長くかかる人もいれば短い人もいます。
いつかは、そう思えるときは必ず来ます。
3.私たちの場合
特殊な例だと思いますが長女の早希が生まれたとき、長男の渓は生死を彷徨っていました。
O157に感染し、急性腎不全となり、意識不明となり、いつ急変してもおかしくないときに早希は生まれました。
息子が死ぬかもしれないという状況の中で、長女がダウン症であることを知った時、驚きはしましたが受け入れるまではそれほど時間はかかりませんでした。
息子が死ぬかもしれないということと比較すると、娘がダウン症であることは、はるかに小さいことだったからです。
長男のO157感染に関しては、以下のブログの方を見て頂ければと思います。
長男(3歳)のO157感染・溶血性尿毒症症候群発症から奇跡の生還およびダウン症の娘誕生までの56日間