何で私たちの子はダウン症なんだろう。
「なぜ」ダウン症になったのだろう。
ダウン症のあるわが子が生まれた時、誰もが考えます。
何かしたから、何かをしなかったから、この子がダウン症になったのかな、と考えてしまいます。
ダウン症になる原因はまだはっきりとは分かっていません。
そのため、いくら考えても、「なぜ」に対する答えはありません。
考えている間、迷路をさまよい続けるだけで疲れてしまいます。
仮に原因が分かったところでわが子からダウン症がなくなってしまう訳ではありません。
過ぎ去った過去は変えられないのです。
さてこの悩みの出口はどこでしょうか。
「なぜ」の「答え」を探し求めることを止めた時点が出口です。
でも、頭では「答え」を探し求めることを止めたいと思っても、心が納得しないでしょう。
止めるまで時間がかかると思います。
でもいつかは止められる時がきます。
そして出口に出たところで、初めて未来に向かってこれからどうするかを考えられるのだと思います。
未来は自分の意思で良くも悪くも変えられます。