最近、ダウン症のある私たちの娘である早希ちゃんを見て思うことがあります。
早希ちゃんは、まだ言葉が喋れません。
早希ちゃんに接すると早希ちゃんが障がい児だと直ぐに分かると思います。
でも毎日、一緒にいると「障がい」が「障害」ではなく日常に見えてきます。
あえて「障害」という文字を使ったのは、障壁という意味での「障害」ではないということです。
そしてむしろ、「障がい」も含めて早希ちゃんのキャラクターとなり、微笑ましく見えてきます。
よくダウン症は個性という言葉が使われますが、私はしっくりきません。
以前、このブログでは「個性」ではなく「多様性」という言葉を使っていました。
でも普段、早希ちゃんを見て「多様性」の一つとは思っていません。
早希ちゃんのやることなすことが面白く、いつも微笑ましく思っています。
キャラクターという言葉がもっともしっくりきます。
ダウン症は、早希ちゃんというキャラクターを作り出す要素の一つと私は考えます。
早希ちゃんは、本当に面白いです。
毎日見ていて飽きません。
とても癒されます。
このような考えは、ダウン症児がいないとなかなか理解しにくいかもしれません。
ダウン症児がいても、生まれたばかりのときはショックでなかなかこのような境地にはなれないかもしれません。
でも長く一緒に暮らしていると必ずこのような境地になるのではないかと思います。