太宰治の墓
あまり知られていませんが、太宰治の長男、正樹さんは、ダウン症を持っていました。
このことは、書簡集「山のある家 井戸のある家」に書かれてます。
この書簡集は、太宰治の次女であり、作家である津島佑子さんです。
39頁には、ダウン症の兄と書かれています。
山のある家 井戸のある家 東京ソウル往復書簡
15歳で簡単な言葉による会話ができるようになり、文字も少し書けるようになったようですが、その15歳で肺炎で亡くなったようです。
1960(昭和35)のことです。
正樹さんのことは、小説「桜桃」にも書かれています。
桜桃とは、さくらの1種で桜桃の実がサクランボです。
しかし、四歳の長男は、やせこけていて、まだ立てない。言葉は、アアとかダアとか言うきりで一語も話せず、また人の言葉を聞きわける事もできない。はって歩いていて、ウンコもオシッコも教えない。それでいて、ごはんは実にたくさん食べる
引用「桜桃」
この小説には、ダウン症のある長男のことで悩まれている様子が書かれています。
妻と喧嘩して太宰は居屋に行きますが、酒屋で桜桃「さくらんぼ」が出てきます。
この「さくらんぼ」を見て子供たちのことを思い出します。
また、次のようなことも書かれています。
ああ、ただ単に発育がおくれているというだけの事であったら
引用「桜桃」
太宰治が自殺した原因の一つが長男にあったという説もあるようです。
話が少しそれますが、私自身、太宰治の故郷である青森出身で、今住んでいるところは、太宰治が住んでいた街や入水自殺した玉川上水にわりと近いところです。
何かつながりのようなものを感じます。
私が大学生の頃、太宰治の親戚の方と話をしたことがあります。
当時、衆議院議員だった田沢吉郎さんです。
昨年は、初めて桜桃忌にいきました。
太宰治の墓の文字の部分には、「さくらんぼ」がはめられていました。