このブログでは、極力、「ダウン症を持っている」とか「ダウン症のある○○さん」という表現を取るようにしています。
(文字数の制限で「ダウン症の○○さん」という表現を取ることはあります)
それは、「ダウン症の○○さん」と「ダウン症のある○○さん」には、大きな違いがあるからです。
この違いをイメージしたのが次の図です。
ダウン症の○○さんのイメージです。
ダウン症という集団の中の○○さんという意味合いです。
ここには、○○さんは、ダウン症という集団の中に含まているという説明にしかすぎません。
主体は、ダウン症であり、○○さんの個性が見えてきません。
これでは、○○さんという人を取り上げているようには感じられません。
次は、「ダウン症を持っている○○」さんのイメージです。
(「ダウン症のある○○さん」もイメージは同じです)
ダウン症は、○○さんの一部でしかすぎません。
主体は、○○さんです。
○○さんをメインにおいており、○○さんという人に注目しているようなイメージです。
このように「ダウン症の○○さん」と「ダウン症を持っている○○さん」には、大きな違いがあります。
最近は、「ダウン症を持っている○○さん」と書いている人が増えてきました。
恐らく同じようなことをイメージされてるのではないでしょうか。
その他、あえて「ダウン症を持っている」という言葉を付け加えるのはどうかという意見もあります。
実際、そのようなコメントを頂いたことがあります。
それは、必然性があるかどうかによると私は考えます。
例えばこのブログでは、ダウン症に関する記事を書いているため、その関係性を示すためには、「ダウン症を持っている」という表現は必要となるところです。
ダウン症を持っている人を応援したいと思うため、そのような人を記事に書く際は、「ダウン症のある○○さん」という表現になります。