障がい児自身に向けられている視線。
私たちは、障がい児を見ている側に立っているとなかなかわからないとと思います。
でも障がい児と一緒にいることで、障がい児に向けられている視線を一緒に感じることがあります。
じろじろ見られていたり、一瞬、会話が止まり無言の視線を感じたり、いろいろあります。
もしかしたら私たちがいなくなった後、障がい児について「さっきの子は・・・・」といった会話をしているかもしれません。
障がい児は、一生、そういった視線の中で生きていかなければなりません。
私は、以前、これと似た視線を感じたことがありました。
それは、外国の人と一緒にいたときです。
喫茶店に入ったのですが、周りは100%日本人です。
私とその外国の人と一緒に喫茶店に入ると一瞬、静まり返ったような感じを受けました。
外国の人も日本にきて特別な視線を日々、感じているのだろうと思います。
偏見もあるようです。
外国の人は、よく警察官に呼び止められるようです。
外国人というだけで不審者に見られているのかもしれません。
このような話はよく聞きます。
障がい者に向けられた視線、外国人に向けられた視線。
どちらも似ていると思います。
自分たちと異なる人に向けられているのだろうと思います。
最近、外国人が増えたせいか、少しは日本人も慣れてきているのではないかと思います。
でも障がい児は、相変わらず、近くにいないことが多いため、慣れていない人は多いと思います。
普通に健常者も障がい者もいる、そういう世界になれば特別な視線はなくなるのではないでしょうか。