文部科学省では、いじめの定義を次のように定めています。
「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」
ポイントは、本人が精神的な苦痛を感じているかどうかということです。
これに疑問を持つ声を聴きました。
次のことのようです。
(間接的に聞いた話のため、私の意見も含まれています)
どういうことかというと、「いじめ」は見えにくいものです。
いじめられた本人は、表向き笑っているかもしれません。
笑っていながら心では泣いているかもしれません。
つまり、本人が精神的な苦痛を感じているように見えなければいじめにはならないのです。
ほとんどの場合、いじめは本人が精神的な苦痛を感じているようには見えないでしょう。
とすると文部科学省のいじめの定義は、いじめを見つけるという点においては、問題がある定義であるようです。
やはり、本人が精神的な苦痛を感じている以外にこういうことがいじめであるという具体例が必要であると思います。
そういう定義をしていかないといじめはなくならないでしょう。