腸管出血性大腸菌O157は食中毒の一つですが、普通、イメージする食中毒ような生易しいものではありません。
O157は、危険性が高く特別な対応が必要であることから法律(※)で指定されており、コレラ、赤痢などと同じレベルのとても恐ろしい伝染病です。
目次
1.腸管出血性大腸菌O157とは
引用 Wikipediaより
腸管出血性大腸菌O157とは、大腸菌の一つです。
O157はベロ毒素という猛毒を作り出します。
ベロ毒素がどのくらい猛毒かというと100個程度のO157が体の中に入っただけでも、感染症を引き起こします。
感染力は非常に強いです。
また、ベロ毒素の半致死量0.001mg/kgに対して青☆☆リの半致死量5mg/kgであることからかなりの猛毒と言えます。
潜伏期間は、平均3~4日です。
下痢と激しい腹痛が起こり、数日後に出血を伴った下痢が起きます。
順調に回復すれば一週間程度で治癒します。
しかし、数パーセントは、数日から2週間以内に溶血性尿毒症症候群や脳症などの重い合併症を引き起こします。
溶血性尿毒症症候群となるとかなり重篤となります。
溶血性尿毒症症候群が起こった場合、数パーセントは死亡するとも言われています。
溶血性尿毒症症候群を引き起こした場合、急性腎不全となります。
その場合、人工透析か腹膜透析を行い腎臓の回復を待つことになります。
これほど大事に至るO157ですが、熱にはめっぽう弱く、75℃1分間の加熱で死んでしまうそうです。
2.大阪府堺市O157集団感染とは
平成8年(1996年)、大阪府堺市の学校給食などがO157に汚染されていたことから小学生など一万人を超す集団感染となりました。
大きく報道されたため、当時のことを知っている方も多いと思います。
この集団感染により、当時の小学女児3名が亡くなりました。
3.後遺症で亡くなられた25歳女性の場合
O157の後遺症で亡くなられた25歳女性は、平成8年(1996年)、大阪府堺市の集団感染者のうちの一人です。
女性は、小1年だった当時、溶血性尿毒症症候群(以降HUS)を発症したが、その後、回復したそうです。
ところが集団感染から20年後の平成28年(2016年)の10月10日の夜の就寝時、突然嘔吐し、救急車で病院に運ばれましたが、意識不明の状態となり、翌日、亡くなられたということです。
死因は、HUSの後遺症である腎血管性高血圧のようです。
腎血管性高血圧は、腎臓の動脈の異常から高血圧になる病気です。
腎血管性高血圧が原因で脳出血を起こしたようです。
亡くなられた女性は、年に数回通院を行い、薬も服用していたそうです。
4.息子(渓)の場合
息子についても触れておきたいと思います。
平成19年(2007年)、3歳の息子は、腸管出血性大腸菌O157に感染しました。
(厚生労働省の統計によれば、この年、腸管出血性大腸菌に感染した患者は25名です。
うちの息子は25名のうちの一人ということになります。)
その後、溶血性尿毒症症候群(HUS)が発症しました。
医師からは最悪の事態となることもありうると伝えられました。
危ない状態が続き、ようやく危機が去ったかと思うと今度は意識が戻らないなどの問題があり、とても不安な日々を過ごしました。
しかし、先生方の懸命な治療により、56日後、無事、退院出来ました。
詳細については、下記のブログを見てください。
いかに大変かが分かります。(後々、何かの役に立つと思い、日々記録を取っていました)
何か一つでも判断が誤っていれば、息子は今、生きていないでしょう。
長男(3歳)のO157感染・溶血性尿毒症症候群発症から奇跡の生還およびダウン症の娘誕生までの56日間