ロングフル・バース訴訟とは、医師が胎児に障がいがあることを発見していれば中絶を選択していたはずだという裁判のことです。
日本では、医師が出生前診断を誤って伝えたことによる損害賠償の裁判があります。
この裁判では、両親が出生前診断である羊水検査を実施していたのにもかかわらず、医師が誤って陰性と伝えたことによってダウン症児を産んだことによる損害賠償を請求するというものでした。
具体的には、中絶を選択する機会が奪われたことが認められたということです。
この判決には疑問があります。
疑問1 ダウン症という理由だけで中絶の選択は許されるのか?
中絶は、以下の場合のみに認められていますが、実際は、拡大解釈されて幅広く中絶が行われているのが実態です。
上記の判例では実態に合わせて中絶の選択の権利はあるとが確認されました。
・妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
・暴行若しくは脅迫によってまたは抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの
疑問2 ダウン症児は生まれる権利はないのか?
「命の重さはみんな同じ」、「生まれてこなければよい命はない」という考え方があります。
この考え方によるならば、障がいがあっても中絶はやってはいけないことです。
つまり、たとえ医師の診断ミスがあったにせよ、障がいがあるかどうかによって中絶は選択するべきではないということです。
しかし、日本の法律では生まれなければ権利はないということのようです。
また、中絶は妊娠22週以上は出来ないことになっていますが、これは22週以上であれば胎児が母親のお腹から出てきても生きていれられることによります。
つまり生きていける=人として認められるということです。
しかし、人として認められるというだけであり、生まれなければ権利は生じないということです。
これらのことは、人の始期はいつかという問題につながります。
生まれる前から権利があるのか、生まれてから権利が出来るのか、生まれる前であればいつから権利が生じるのかは非常に難しい問題です。
最後に私の意見
私はロングフル・バース訴訟を起こすこと自体が問題があるように考えています。
冒頭で紹介した日本における訴訟の事例では、生まれたダウン症児は3歳でなくなっていますが、もし、児童が生きていたとして両親がこのような訴訟を起こしたことを知ったらどう思うでしょうか。
自分を否定されていると思うのではないでしょうか。