早希ちゃんが小学校の普通学級でどのように過ごしていたのか知りたい方が多いようなのでまとめました。
1.早希ちゃんの障がいの程度
早希ちゃんの障害の程度は東京都の基準で2度(重度)です。
2度(重度)というと東京都の判定基準表では下記のようになります。(6歳から17歳までの児童の場合)
項目 | 2度(重度) |
知能測定値 | 知能指数及びそれに相当する指数が、おおむね20から34 |
学習能力 | 簡単な読み、書き、計算でもほとんど不可能 |
作業能力 | 作業のうち、簡単な手伝いや使いが可能 |
社会性 | 集団的行動がほとんど不可能 |
意思疎通 | 言語による意思疎通がやや可能 |
身体的健康 | 特別の保護が必要 |
日常行動 | 日常行動に支障があり、常時注意及び配慮が必要 |
基本的生活 | 身辺生活の処理が部分的に可能 |
当然、言葉は喋れません。
一人で着替えは出来ません。
オムツも取れていません。
恐らくこのような障がいの程度で小学校の普通級に入れた事例はほとんどないのではないでしょうか。
2.普通学級に入れた理由
学校の勉強にはついていけないことは初めから分かっていました。
私たちが求めていたことは、健常児とのふれあいです。
子供はみんなそうですが、他の子供がやっていることをマネして覚えます。
しかも、学校の先生はいつも子供に付いている訳ではありませんが、子供はいつも周りにいます。
ある意味、子供は常に周りにいる最大の先生となります。
早希ちゃんには、他の健常児から学ぶことを期待しました。
3.先生の対応
先生は、普通に授業していました。
早希ちゃんを特別扱いすることはありません。
早希ちゃん用に特別なカリキュラムを組むようなこともしません。
他の学校の例では、先生がダウン症児向けに特別にプリントを作成してくれたケースはありました。
特別なことをしてくれるかどうかは先生次第といったところです。
4.妻の対応
普通学級に入れる条件として妻が毎日、教室に常駐することを言われました。
自治体によって異なりますが例えば23区では支援員が付くため、親が付き添うことはないようです。
毎日、妻は早希ちゃんの席の横で早希ちゃんの支援を行っていました。
5.早希ちゃんの様子
学校の授業が分からずにじっと座っているのではないかと思われがちですが、そうではありません。
例えば国語の授業。
「ひらがな」の練習をしたりするときは、早希ちゃんも一緒に「ひらがな」を書くマネをしていました。
算数の授業では、物を使って数えたりしますが、早希ちゃんも一緒にやります。
図工では、グループで何かを作るとき、妻が早希ちゃんの工作などを手伝うのですが、他の子で分からないところがあると、「早希ちゃんママ教えて!」と言ってくるそうです。
妻が教えてあげると、その代りなのか早希ちゃんの世話をするようになりました。
音楽は、早希ちゃんはまだ歌えないので他の子が歌っているところをじっと聞いていたようです。
総合学習では、伝統的な遊びなど一緒に楽しんでいました。
早希ちゃんはお便りの係で良くお便りボックスから、手紙を持ってきてくれました。
結構、楽しんでいたようです。
しかし、集団行動でついていけない事もあったのか、2学期の後半から学校に行くのを嫌がることがたまにありました。
そのため、2年生からは支援学級に移りました。
6.結果はどうだったか
早希ちゃんは、健常児のマネをしていろいろ覚えました。
例えば、体育の時間は他の子のマネをして、妻の手伝いは必要ですが着替えるようになりました。
授業の開始時間には、他の子に合わせて筆箱を出したりしていました。
給食を自分で取りにいったり、給食当番もしていました。
一番良かったことは、みんなに早希ちゃんを知ってもらったことです。
6年生までみんな早希ちゃんのことを知っています。
特に縦割りの活動で早希ちゃんの面倒を見てもらいました。
しかし、いいことばかりではありません。
やはり、変な目で見られたりすることはありましたが、外の世界に出るとそれは良くあることです。
逆になれることも必要です。
7.普通学級に入れることについて
普通学級に入れることは、全てのダウン症児に勧める訳ではありません。
その子が普通学級に合っているかどうかを実際に入ってみないと分からないこともあります。
必ずしも普通学級に入った方が伸びるとも限りません。
もしかしたらストレスに感じることもあるかも知れません。
早希ちゃんの場合、性格的にのんびりしているところがあり合っていたと思います。