ダウン症に関する様々な意見があります。
例えば、「ダウン症は天使か?」という問いに対して肯定する方もいれば否定される方もいます。
他にも「ダウン症児は親を選んで生まれてくる」も同様です。
なぜ、意見が分かれてしまうのでしょうか。
それは、個々の人々の思想的な背景、物事の考え方の違いから意見が分かれるのだろうと考えています。
例えば、「ダウン症児は親を選んで生まれてくる」という言葉は、宗教的な背景がないとなかなか理解できないと思います。
キリスト教では、全ての出来事は神の意思であり、意味があると考えます。
生まれることも死ぬことも神様の意思の表れです。
「ダウン症児は親を選んで生まれてくる」とは、神様の意思、与えられたミッションであり、キリスト教を信じる方にとても受け入れやすい言葉です。
しかし、キリスト教という思想的な背景がなければ、そんなはずはない、納得させようとごまかされていると考えるでしょう。
「ダウン症児は親を選んで生まれてくる」は全ての人には受け入れられない言葉かも知れません。
しかし、中にはこの言葉に救われる方もいます。
私がいつも心がけているとは、自分の意見は尊重しつつ、異なる考え方もあることを認めることです。
そしてどちらか一方が絶対的に正しいのではなく、その人にとってはその意見は正しいのだと思います。