2016年7月に相模原事件という痛ましい事件がありました。
このときの犯人は、「意思疎通ができない障がい者は心失者であるため人ではない」と語ったといいます。
詳しくは次の記事を見てください。
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私は違うと思います。
私の障がい者のイメージはこうです。
学問的な見地からは異なる解釈かもしれません。
あくまで私のイメージです。
誰しも、楽しいときは笑い、悲しいときは泣きます。
このような喜怒哀楽は、「心」から生み出されるものと考えています。
「心」は人間であれば必ず持っているものです。
「心」が人間の中心にあると考えます。
その「心」を中心に「精神」、「身体」、「知性」という機能があります。
障がいとは、この「精神」、「身体」、「知性」という機能が何らかの原因で機能していない、問題を抱えている状態と私は考えています。
このため、「心」から発する情報がうまく外部に発信できないため、意思疎通ができなかったり、身体を動かすことができない状況が障がいなのだろうと考えています。
でも「心」はあるのです。
そう考えると「心」はみんなと同じく持っているため、例えばうまく言葉が言えなくても次のように考えるようにしています。
- 「心」で言いたいことがあるが、言葉を言う機能に問題があるため言えないのだろう。
- でも「心」ではきっと言いたいことがあるに違いない。
相模原事件の犯人は、言葉が言えない=心がないと考えてしまったところが間違いだろうと思います。
みんなと同じ「心」は持っている、ただし、外部に発信する機能に問題があるだけと考えるべきではないかと思います。