O157と言えば、2017年の夏、総菜店「でりしゃす」で集団感染が起こり、亡くなった児童もいたことで記憶されている方も多いと思います。
私が初めてO157について知ったのは、1996年に起きた堺市で起きた集団感染であり、10,322人発症し、8名の方が亡くなりました。
さて2007年の夏のことですが長男はO157に感染し、最悪の溶血性尿毒症症候群になり生死をさまよいました。
一時は、絶望的な状況でした。
しかし、何とか持ちこたえ、徐々に回復に向かいました。
現在では、後遺症もなくとても元気です。
この時の日記をブログにしました。
長男(3歳)のO157感染・溶血性尿毒症症候群発症から奇跡の生還およびダウン症の娘誕生までの56日間
このブログに朝日新聞の記者からメールが届きました。
O157に関する闘病を記録したブログは他にはないとのこと。
またO157の患者は事例も少なく病院から紹介することも難しいとのこと。
このため、記者の方から問い合わせのメールをいただきました。
1月にわが家まで記者の方に来ていただき、3時間程、取材を受けました。
長男がO157に感染してから11年経っています。(2019年現在)
通常は、数年もすれば記憶が薄れてあいまいな返答となってしまうことが多いそうです。
しかし、当時からいつかは役に立つと思い、日々、日記を付けていたことから、かなり詳しくお話しをさせて頂くことができました。
日記を記事にしたのが下記のブログです。
長男(3歳)のO157感染・溶血性尿毒症症候群発症から奇跡の生還およびダウン症の娘誕生までの56日間
また他にも医師からの説明資料、写真、ビデオも記者の方に見て頂きました。
さらに入院していた病院からカルテを入手し、記者の方にお渡ししました。
担当されていた医師や、さまざまな専門家にも取材をしたそうです。
私が思っていた以上に新聞記事を書くために事前の取材にかなりの時間をかけているようです。
さて記事ですが来週、朝日新聞に掲載されます。
2019年3月5日(火)から8日(金)にかけて連載で載ります。
是非、皆さんに見て頂きたいと思います。
O157の恐ろしさを知って欲しいと思います。