かつてあった私宅監置制度についてです。
明治時代から昭和時代中期頃までの精神医療界では、精神的な障がいを持っている人たちは、治療よりも隔離することを目的にされていたそうです。
つまり、一度、精神的な障がいとされてしまうと治療はされず、隔離されてしまうということだったようです。
これは、大変な人権侵害ですが、当時は当たり前のように行われていました。
隔離させる場所は、神科病院や精神科病棟ということになります。
私が子供の頃、住んでいたところにもこのような病院があり、隔離施設と聞いたことがあります。
神科病院や精神科病棟ですが、不足していたこともあり、「私宅監置」ということが行われていました。
「私宅監置」とは、個人が行政庁の許可を得た上で、個人の自宅の部屋などに患者を監禁する制度です。
管理は、行政(警察)が行っていたそうです。
日本(沖縄を除く)では、1950年までこの制度がありました。
沖縄では、1972年までありました。
沖縄が1972年まで行われていたのは、1972年まで米国の統治下にあったためです。
近代の日本においてこのようなことが行われていたことは驚きです。
しかも、一般の人は、おそらくこのようなことが行われていたことは知らないのではないでしょうか。
1935年には、全国で7000人を超す患者が監禁されていたようです。
ある私宅監置用の小屋は、次のようなものでした。
母屋から10メートルくらい離れたところにある4・95平方メートル程の小屋。
その小屋には、食事を出し入れする小窓と通気、採光のための穴が空いています。
その他は、排せつをするスペースがあるだけでした。
入り口は鉄の扉で外から鍵がかけられていました。
まるで家畜のような扱いです。
長年、このような小屋に閉じ込められていたため、立てなくなった人もいたそうです。
病院に入院させようにも、高額な医療費のために断念した人もいたそうです。
このような状況に当時、異議を唱える学者もいました。
日本の近代的な精神病学の創立者である呉秀三さんは、私宅監置を批判していました。
呉秀三さんは、精神疾患の患者の対応状況を調査し、その改善に努められました。
呉秀三さんは、次のことを書かれています。
『わが邦くに十何万の精神病者は実にこの病やまいを受けたるの不幸の他ほかに、この邦くにに生まれたるの不幸を重かさぬるものというべし』
病の不幸と、日本に生まれたことの不幸が重なっていることを述べています。
呉秀三さんの業績は、ドキュメンタリー映画『夜明け前 呉秀三と無名の精神障害者の100年』で描かれています。