妊娠12ヶ月でダウン症の可能性について医師から告げられた母親がいます。
診断は、新型出生前診断ではなく、超音波検査でわかりました。
胎児の首の後ろに後頚部浮腫(NT)を確認してわかったようです。
浮腫の厚さと妊婦の年齢で染色体異常の確率がわかります。
(妊娠11から13週にこの後頚部浮腫(NT)がない場合は、70パーセントの確率で正常と考えます)
この検査を行うためには、追加費用がかかりますが超音波検査のためそれほどかかりません。
確定検査ではないため、別途、羊水検査を行い確定します。
さて冒頭の母親の件です。
胎児には、7ミリの後頚部浮腫(NT)がありました。
母親の年齢と掛け合わせるとダウン症の確率が7分の1であることが分かりました。
母親は、頭が真っ白になったと言います。
その後の記憶はないそうです。
母親の実父母は、生むことに反対しました。
でも、母親は、子供を生みたい気持ちが強かったようです。
周りの人は、ダウン症について漠然とした印象で言っており、実はよく知らないで言っているのかもしれない、そう母親は思ったそうです。
そこで母親は、日本ダウン症協会の戸を叩いたそうです。
そこから実際にダウン症児に接することで妊娠を続けることを決意したそうです。
実母を説得するため、7分の1がダウン症の可能性であれば、7分の6は、健常児だからその健常児に賭けさせて欲しいと言ったそうです。
さらに母親は、確定診断である羊水検査は、受けませんでした。
その結果、生まれてきた子供は、ダウン症を持っていました。
母親は、葛藤はあったようですが、ダウン症じゃなかったら○○ちゃんじゃないから、と思ったそうです。
この母親は、妊娠中にヴィクトール・エミール・フランクル著「それでも人生にイエスと言う」という本を読んだそうです。
フランクルは、ナチス強制収容所の体験を書いた「夜と霧」が有名です。
この本は、私も持っています。(名著です!!)
「それでも人生にイエスと言う」には、愛されている人は、何もしなくてもただそこにいるだけで高い価値がある人だと書かれていたそうです。
障がいを持って社会的な生産性がなくても、ただそこにいるだけで周りを幸せにしている、そのこと自体が高い価値があるということです。
とても意味深い話です。
そして、現在、お子さんのご両親は、子供の分も含めて生産性の高い人になり、社会に貢献したいと述べています。
この母親の話を知って私が思ったことは、出産前にダウン症の可能性が分かってしまうと、周りの人たちを巻き込んで出産するしないの議論になってしまうという問題です。
母親が生みたいと思っても、父、母が反対するなど、よほど強い意志がない限り、屈してしまう可能性があります。
こんなことになるなら、知らなかった方が良かったと思う人は多いのではないかと思います。
現在、出生前診断は、だれでも出来るようになりました。
私は、賛成も反対もしていませんが、このような話を聞くともう少し議論が必要であると感じます。
もう一つ、「それでも人生にイエスと言う」に書かれていたという、「ただそこにいるだけで周りを幸せにしている」ということです。
わたしたちのダウン症のある早希ちゃんは、まさにそこにいるだけで周りを幸せにしています。
一緒にいるだけで幸せな気持ちになります。
これは、私たちにとって、とても大きな価値のあることです。
早希ちゃんがいないなどあり得ないことです。
みんなを笑顔にしてくれる、それは、社会にとって不必要ではなく、必要なことです。
世の中のダウン症を持った人たちは、周りの人を幸せにしている、実は社会に大きな貢献をしているのではないでしょうか。