昨日の記事の続きです。
ヴィクトール・エミール・フランクルという人がいました。
フランクルは、オーストリアの精神科医です。
私がフランクルを知ったのは、スティーブン・R・コヴィー著「7つの習慣」でした。
この本は、知っている人は多いと思います。
成功を収めるための習慣は、7つあるというものです。
この本自体の紹介は、また別な機会にするとして、この本の中でフランクルは、ナチス強制収容所という絶望的な状況でも「自分がどのようにふるまうのか」という自由だけは、誰にも奪うことはできないと述べたこととして紹介していました。
初めて読んだとき、とても感銘しました。
今でもこの本は、私の物事の考え方の基本となっています。
さてフランクルは、自らのナチス強制収容所の出来事を「夜と霧」という本にまとめました。
この本では、アウシュビッツ強制収容所に収容され絶望の状況の中で、まるで昇華した修行僧が達した高いレベルの考え方について書かれています。
他には「それでも人生にイエスと言う」という本も書かれています。
こちらの本は、生きることの意味や価値についてフランクルの考えをまとめたものです。
私はまだこの本は読んだことはありませんが、他の人の書評を読むと生きる力を与えてくれる本のようです。
何かに悩んでいる人、苦しんでいる人にとって何か生きるヒントが得られる本とのことです。
読んだらこのブログでも紹介したいと思います。
前置きが長くなりましたが、フランクルは、この本に「愛されている人は、ただそこにいるだけで周りを幸せにしている」といった旨のことが書かれているそうです。
私は、この言葉がとても気に入っています。
別な記事にも書きましたが、障がい者は社会的な生産性が低いため、否定的な意見を持っている人が少なからずいます。
生産性第一主義で考えたら、そうなるのでしょう。
しかし、世の中、生産性だけがすべてでしょうか。
例えば、プロ野球選手は、何かを生産している訳ではありません。
もし、生産性という点で言うと否定される存在となってしまいます。
しかし、本当に生産性がないかというとそんなことはありません。
プロ野球は、娯楽であり、人々を楽しませてくれます。
もし、このような娯楽がなかったら、どんなに寂しいでしょうか。
楽しみもなにもありません。
同じようにダウン症児は、愛される存在です。
とても優しく、いつもニコニコしている、そして一緒にいると癒される存在です。
生産性がなくても、ただそこにいるだけで周りを幸せにしている存在です。
プロ野球とは、一緒にはできませんが、生産性では測れない良い影響があるのではないでしょうか。
何かに書かれていましたが、次のことが書かれていました。
障がい者の人数はそれほど多くはありません。
もし、障がい者がいることで経済の足を引っ張るということがあるとしたら、既に国として終わっていると。
そんなことを考えるよりも、ダウン症児が与える良い影響の方を考えるべきではないでしょうか。