「全ての不幸は人と比較するところから始まる」
この言葉は、いろんなところで語られている不偏的なものです。
私たちは、生まれてから常に比較されています。
当然、ダウン症児も比較されています。
歩き出すのが早い、発話が早いなど他の児童と比較し、遅れていると悩んでしまいます。
長男は健常児ですが、発話が遅いと保健師から言われ、妻が悩んでいたことがありました。
小学校に入ると成績で他の子と比較したり、同じ兄弟の中でも比較があります。
例えば、お兄ちゃん、お姉ちゃんは優秀だとか言われると弟、妹はとても嫌な気持ちになると思います。
本人も、他の人が出来ているのに何で自分はできないのだろうと悩むこともあると思います。
世の中、お金持ちもいれば、そうでない人もいる、
社会的地位が高い人もいれば、そうでない人もいる、
そいった格差を比較してしまうところが人にはあります。
その格差を感じた時、勝ち組、負け組の明暗を感じてしまい、不幸感を増してしまいます。
でも実は格差があることが本当は不幸なのではなく、ある尺度で比較してしまうことが不幸感を増してしまっているのです。
この尺度とは、例えば、お金持ちであれば幸福だとか、社会的地位が高いと幸福といった、身に染みついている価値観なのです。
ほとんどの人々は、このような価値観を持っており、小さい頃から自然とその価値観に洗脳されているのだと思います。
本当に幸福とはなんだろうと考えた場合、決してお金持ちだから、社会的地位が高いから幸福とは限らないのではないでしょうか。
最近あった事件で、元省庁の高官が引きこもりの息子を殺めてしまったニュースがありました。
このような事件を見ると必ずしも、周りの人が思っている程、幸福と思われている人たちは幸福ではないのかもしれません。
意外と慎ましい生活を送っている方が幸福なのかもしれません。
以前、ダウン症を持っている人の約9割が幸福という調査結果がありました。
ダウン症を持っている人には、お金持ちや社会的地位は関係ありません。
ダウン症を持っている人たちは、おそらく他の人との比較するといった考えは持っていないだろうと思います。
比較しない、比較する必要がないから、ダウン症を持った人たちは幸福なのかもしれません。