副籍とは、特別支援学校の生徒が地域の小学校、中学校に副次的に籍を置き、交流を図るものです。
現在、ダウン症のある早希ちゃんを副籍で小学校に通わせていますが、うまくいっているとは思いません。
何のために副籍はあるのだろうか。
何を目指しているのだろうか。
本当に役立っているのだろうか。
いろんな疑問が出てきました。
まずこの副籍制度ができた背景から知る必要があります。
副籍制度ができた背景
平成14年の第1次小泉内閣のとき、閣議決定された「障害者基本計画」の基本的な方針に日本が目指すべき社会の姿として「障害の有無にかかわらず、国民誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合う共生社会」が示されました。
「共生社会」という言葉が重要です。
今までは、障がい者が差別されたり、隔離されたり、排除されてきました。
そういう社会はやめよう、健常者も障がい者もお互いに尊重し合おうというのが「共生社会」です。
さてこの「障害者基本計画」に基づき、平成16年6月に「障害者基本法」が改定されました。
この「障害者基本法」の第十四条第3項に次のような内容が記載されました。
障害のある児童及び生徒と障害のない児童及び生徒との交流及び共同学習を積極的に進めることによって、その相互理解を促進しなければならない
共生社会の一つの手段として学校において健常児と障がい児が交流を図ろう、そこからお互いの理解を深めようというものです。
ということは、必ずしも学校の授業である必要はないようです。
学校という場を使い、例えばお昼休みでもよいと思いますが、健常児と障がい児の交流が図れればよいわけです。
ところが昨年、早希ちゃんの副籍で先方の学校の先生方と話し合いした際、先生の一人から「副籍交流が早希ちゃんのためになるか疑問」ということを言われました。
妻はかなりショックを受けたそうです。
この言葉はどういう意味なのだろうと私は考えました。
副籍という制度は、お互いの理解には役に立たないということを言っているのでしょうか。
それとも授業を受けても早希ちゃんは授業にはついていけないため、早希ちゃんのためにはならないと言っているのでしょうか。
妻から聞いた印象からは、私は後者ではないかと思いました。
もし、そうであれば、副籍の理念を理解していないことになります。
妻の印象では、副籍をやめさせるためにそう言ったのだろうということでした。
つまり、副籍は先生にとっては負荷がかかるため、やりたくないということなのでしょう。
前日の記事に書きましたが、最近行った副籍は、以前よりも対応が悪くなったように思います。
やはり、先生にとって負荷がかかるため、必要最低限のことだけ対応しようということなのかもしれません。
そもそもの目的が忘れ去られて形だけ実施してるようです。
それでは、相互に理解するという目的を達成していないと思います。
であれば、やる意味はありません。
やめた方がよいでしょう。
学校は勉強がすべてではない、健常児と障がい児がお互いを理解する場でもあるということを今一度、学校の先生に理解して欲しいと思います。
勉強と共生の両立を目指して欲しいと思います。
私は、先生に聞いてみたいと思います。
「副籍」は何のためにあるのでしょうかと。