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ダウン症書家 金澤翔子さん 31歳の一人暮らしの日々

目次

翔子 ダウン症の女流書家が語った、心温まる50の言葉

1.金澤翔子さん

金澤翔子さんは、1985年にダウン症を持って生まれました。 金澤翔子さんは小学校に通っていましたが、小学校4年のとき、担任の先生から特別支援学校に行くことを勧められました。 泰子さんはやるせない気持ちになり、落ち込んだそうです。 そんなときに泰子さんは、翔子さんに10組の般若心経を書かせたそうです。 書家になるベースはその時に出来たそうです。 翔子さんの父親は、翔子さんが14歳のとき、心臓発作で倒れそのまま帰らぬ人となりました。 父親は生前、「翔子が20歳になったら個展を開こう」と言っていたそうです。 そこで銀座の名門の書廊で個展「翔子 書の世界」を開いたそうです。 この個展は大きな反響があり、金澤翔子さんは書道家としての道を歩むことになります。

2.ダウン症者が一人で暮らす難しさ

日本ダウン症協会 代表理事 玉井邦夫さんが言うには、ダウン症の人が一人で暮らすことは難しいそうです。 生活は衣食住ですが、その中には細かい作業がたくさんあります。 買い物から全て自分でやらなくてはなりません。 例えば、電球が切れたり、トイレが詰まったりしたら、全て自分で対応しなくてはなりません。 全て自分で対応するということは、相当大変なことです。 玉井邦夫さんが知る限り、ダウン症者で一人暮らししている人はいないそうです。 金澤翔子さんが初めてではないかということです。

3.金澤翔子さんの一人暮らしの日々

翔子さんは講演などで、いつも「30歳になったら一人暮らしする」と宣言していたそうです。 しかし、母・泰子さんは、翔子さんの一人暮らしはまだ無理だと思っていたそうです。 遂に翔子さんが30歳になったとき、一人暮らしをしたかどうか聞かれるようになり、仕方なく一人暮らしをさせることにしたそうです。 2015年、翔子さんは、実家から5分のところにあるワンルームマンションで一人暮らしを始めることになりました。 (障がいがある翔子さんに物件を貸してくれるところがなかなか見つからず苦労したそうです) 母・泰子さんは、きっと孤独に耐えられず1週間で帰ってくるだろうと思っていたそうですが、現在も翔子さんは一人暮らししてします。 翔子さんは、手料理を作ったり、掃除、洗濯もこなします。 お金の管理もしています。 近所の喫茶店にいったりし、自分の時間を満喫しているようです。 地域の中で育って、地域に育てられて助けられて翔子さんは、生活しているようです。 ただ一つ、失敗があったそうです。 翔子さんは、太っちゃったようです。 そのため、現在、ダイエットに取り組んでいるそうです。 ワンルームマンションには、三つの約束と書かれた紙が貼られています。
  • おかたづけ
  • 寝る時間
  • やせる
この3つを守るように心がけているようです。 ところで実家に帰るのは、書家に戻るときだそうです。 実家では、書の訓練を行っているそうです。

4.母、泰子さんの思い

母・泰子さん、翔子さんにとって一人暮らしは書道の次にくる新たな挑戦です。 障がい者の親は誰も、一番心配することはもし、私たちが死んだあと子供はどうなるのかということです。 母・泰子さんは、翔子さんと一緒に死ねることが理想と思ってきました。 しかし、翔子さんが一人暮らしを始め、今まで出来なかったことができるようになってくると可能性が見えてきたそうです。 その成長ぶりは驚きだそうです。 翔子さんは、ドライヤーを組み立てるのも一苦労だったようですが、今は説明書を見ながら一人で椅子を組み立てることができます。 一人暮らしでいろいろな可能性が広がったそうです。 障がい者は、ものすごく能力があると母・泰子さんは言います。 その能力を親の私たちのストッパーで止めてしまっています。 親の方ができないと思い込んでしまっているのです。 知的障がい者は、ものすごいできる能力を持っているのがわかったそうです。 今後、翔子さんが生きていくために書道を続けていくことも一つの方法ですが、もう一つ翔子さんが生きていくには、お友達を作る必要があると母・泰子さんは言います。 ずっと生涯を一緒にいられるお友達です。
 

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