早希ちゃんが生まれた次の日、私たちは、医師から生まれた娘がダウン症の可能性があると伝えられました。
(後日、遺伝子検査によりダウン症であると伝えられました)
医師から伝えられた後、妻は泣いていました。
妻が泣くのを見たのは、その月2回目でした。
1回目は、息子がO157に感染し、最悪の合併症である溶血性尿毒症症候群になり生死にかかわる状態であると医師から伝えられたときです。
そのときの状況は、次のブログに記載しました。
長男(3歳)のO157感染・溶血性尿毒症症候群発症から奇跡の生還およびダウン症の娘誕生までの56日間
ダウン症児 早希との楽しい日々(子育て日記)
息子のことだけで大変なときに、追い打ちをかれるように生まれた娘がダウン症と伝えられて家族全員、さらに暗い雰囲気となっていました。
その状態からどうやった立ち直ったのか?
私たちにとっては、娘がダウン症を宣告されたショックよりも、息子が生死を彷徨っていた方が比較にならないくらいショックだったのです。
そのため、娘のことで悩む余裕がなかったというのが正直なところです。
息子の方は幸いなことに回復に向かい、後遺症もなく完治しました。
息子が回復したことによる嬉しさにより、ダウン症のことはかき消されたような感じです。
ダウン症ということを含め、所詮、生死にかかわること以外は大したことではないのだと思いました。
そのあとは、前向きにダウン症って何だろうと書籍を購入して勉強したりしました。
後で妻に泣いた理由を聞きましたが、ダウン症宣告した医師の淡々とした説明の仕方が良くなかったためと言っていました。
医師からの宣告の仕方、ケアの仕方は大事だと思います。
私たちの状況は、やや特殊であるため、一般的にはどのようにして立ち直ったのか調べてみました。
少々古いデータですが、京都ダウン症児を育てる親の会(1996.6)が調査した結果です。
引用 『出生前診断』及び『母体血清によるスクリーニング検査』に関する アンケート調査(1996年6月実施)の結果報告書
立ち直るきっかけとなったもののうち最も多いのは、「ダウン症をもつ子のお母さん(親の会を含む)」(35%)でした。
京都ダウン症児を育てる親の会の報告では、「療育機関」よりも、「ダウン症をもつ子のお母さん」の方が多かったのは、日本では専門のカウンセリングがないことを理由に挙げています。
しかし、私が思うには、やはり同じ境遇の先輩ママさんから話を聞くことが、立ち直る第一歩なのではないかと思います。
もし、悩まれている方は、ダウン症親の会に相談するのが良いと思います。
私たちもダウン症親の会に入りましたが、先輩ママさんからいろいろ教えて頂きました。