早希ちゃんが生まれてきた意味について考えることがあります。
ダウン症は、1000人に一人の確率で生まれます。
意味もなにもなく、偶然、ダウン症として生まれたという考え方もありますが、私はそれ以上のものを求めたいと思います。
少し話は寄り道しますが、昔、フェデリコ・フェリーニというイタリアの映画監督の作品「道」を観ました。
製作が1954年とかなり古い映画です。
もちろんモノクロです。
私はこの映画が好きで今までに10回くらい観ています。
曲は、巨匠ニーノ・ロータ作曲で知っている人が多いと思います。
とても美しいメロディです。
次のYouTubeで曲が聴けます。(ニーノ・ロータは他に「禁じられた遊び」、「ロミオとジュリエット」、「太陽がいっぱい」、「ゴッドファーザー」など作曲しています)
ストーリーは、イタリアの貧しい町で暮らす少女ジェルソミーナが、旅芸人のザンパノに買われて旅しながら大道芸をしていく物語です。
ザンパノはジェルソミーナに対して数々の酷いことをします。
そのジェルソミーナは自分自身未意味な人間と思っていたところ、ある人が小石を持ってこう言います。
「この世に無駄なものは何もない。こんな小石だって何かの役に立ってるんだよ」
私はこのセリフがとても好きです。
さて話を戻して早希ちゃんの生まれた意味です。
もし早希ちゃんが生まれなければ私はこれほどまでにダウン症に関心はなかったと思います。
こうやって日々記事を書くことで、もしかしたら誰かの役に立っているかも知れません。
これは早希ちゃんのおかげです。
また早希ちゃんは、いつもニコニコして周りの人をとても幸せな気持ちにします。
これも早希ちゃんが役に立っているということです。
これからも人の役に立つことがたくさんあるでしょう。
それは早希ちゃんだけのことではなく、どの子も必ず誰かの役に立っているのだと私は思います。(ダウン症であるかどうかは関係なく)
「誰かの役に立つために」
それが生まれてきた意味ではないでしょうか。